国連WFPに25年以上勤務し、紛争地などで人道支援に携わってきた日本人、忍足さんの退職にあたってのインタビュー

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スーダン・ダルフールにて。Copyright: WFP

NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」で取り上げられた、国連WFPアジア地域局長の忍足謙朗(おしだり・けんろう)さん。80万の難民を出したコソボ紛争。世界最悪の人道危機と評され、300万人の難民を出したスーダン・ダルフール紛争。東欧、アジア、アフリカの紛争地などで人道支援に携わってきました。

番組中、忍足さんが仰っていた「紛争があって戦闘とかが行われてる限り、絶対にそこの地域の発展というのはあり得ない。」という言葉がとても印象に残っています。

その忍足さんが、番組でも言及されていたように、2014年9月末にWFPを退職されるそうです。そのインタビューがプレスリリースで流れて来たので、掲載いたします。

- 国連WFPで支援活動に従事する中で、最も心に残った出来事はなんですか?

1999年、コソボ紛争のときです。ユーゴスラビア軍がコソボのアルバニア系住民を迫害し、80万にも及ぶ人が隣国のアルバニアやマセドニアや、コソボ内 の山中などに逃れていました。NATO軍の介入により紛争がおさまり始めたとき、私は小麦を積んだトラックの車列とともに、国連WFPの支援チームの第一 陣としてコソボに入りました。

まだ建物が燃えているような状況で、銃声も聞こえ、地雷の危険もあったので、最初の夜は、トラックの小麦粉の袋の上で寝ました。

次の日、山中の森に入り、そこに逃げ込んでいた人たちに対して、コソボでの初めての食糧配給を行った時のことです。私が配給の指示を出していると、6歳ぐ らいの女の子が近寄ってきて、「食べ物、ありがとう」と言いながら、花束をプレゼントしてくれたのです。それは、その子が辺りの野の花を摘んでつくってく れた小さな花束でした。思いがけないプレゼントが強く心に残っています。

カンボジアの内戦が終わり、復興に携わった時のことも印象に残っています。地域の役に立つインフラを整備する工事を実施し、工事で働いた人たちに対し、給 料の代わりに国連WFPが食糧を配るという形で食糧支援を実施しました。すると、工事に参加すれば食糧がもらえる、ということで、あちこちで猛烈な勢いで 貯水池や道路、学校などの建設が進んだのです。たとえば、アンコールワットの遺跡のまわりの道路は、ほとんどがこの時に国連WFPの食糧支援によって建設 されたものです。復興が進み、それが今でも残っていることがうれしいです。

- 今までで一番大変だった経験はなんですか?

危険な目に遭うことはそれなりにありました。銃を突きつけられたこともありますし、家に手榴弾を投げ込まれたこともあります。戦闘中の場所では、狙撃手が 撃ってくるかもしれない道を、全速力で突っ切りました。でも、僕はこの仕事が大好きで、あまり大変だとは思いませんでした。

一番大変だったのは、大きな緊急支援活動を初めて立ち上げた時のことです。1999年、私は国連WFPのコソボ・バルカン半島諸国特別代表として派遣さ れ、初めて大きな緊急支援を指揮しました。銃声の聞こえる中、全く何もないところから2週間ほどで500人のスタッフを雇い、7つの現地事務所を立ち上げ たのは、大きな挑戦でした。

この時は、非常事態だったため、多少、手荒なこともしました。

求人広告を町のあちらこちらに貼り、採用面接に訪れた人は、英語ができれば片っ端から採用しました。

また、食糧用の倉庫をいくつか借りる必要があったのですが、倉庫の持ち主が戦闘から逃れるため避難しており、連絡がつきません。倉庫の賃借契約を結ぶこと もできなかったので、スタッフに国連WFPのシールを渡し、いい倉庫が見つかり次第、無断でもしょうがないので貼ってくるように伝えました。

当時は銀行も機能しておらず、送金すらできません。そこで、国連WFPが運航していた国連機に毎日のように万単位でドル札を積んで活動資金を運んでいました。スタッフは、多額の現金を懐にしのばせて街に出るような状況でした。通常では考えられないことです。

しかし、一番大切なのは、早く確実に食糧を届けるということです。そのためには、ルールを破ってでも、本質的に正しいことであれば大胆に決断するということを学び、鍛えられました。

- 支援活動を行う際、一番、心がけてきたことはなんですか?

まずは、現場に必ず足を運ぶことです。現場はひとつひとつ違います。何が起きているか、何が必要か、現場に行かないと、何もわかりません。

次に、支援チームの編成です。私は、緊急支援を立ち上げるときは、まずは何を差し置いてもチームの組織図をつくります。どこに何人のスタッフを配分するかを決め、さらに指揮系統をはっきりさせることで、支援活動を効率的に進めることができます。

この時、いくつか気をつけていることがあります。

まず、支援需要の測定、活動内容の策定、物資輸送など、各部門の要となる人物を選びます。さらに、支援活動に直接携わる職員だけでなく、後方支援を行う総 務スタッフもいち早く現地入りさせます。彼らが、スタッフ全員の食べ物、水、トイレットペーパーなどの生活必需品を確保することで、スタッフが被災者のこ とだけを考え仕事に集中できるようになります。

また、アイディアのある人、突拍子もないことを考える人を必ずチームに入れるようにします。非常事態が起きている現場では、常識や定石は通用しません。型破りの解決法を考え出せる人材は貴重なのです。

最後に、スタッフ間の信頼関係が大事です。たとえば、去年、フィリピンで発生した大型台風の被災者への支援活動を行った時、食糧倉庫を建てた土地が大雨で ぬかるみ、中に保管していた支援食糧が水没しそうになったことがありました。そのため、その土地に砂利を敷く工事が必要となったのですが、通常の手続きを 踏んでいては間に合いません。そこで、部下が私のところに、特別に、通常の手続きを省略した形での工事の承認を求めにやってきました。私が承認をすると、 部下はニヤッと笑い、「謙朗は絶対に承認してくれると思ったから、実はもうすでに工事を始めているんだ」と言うのです。承認を待ってからの工事では、遅す ぎたかもしれません。彼と私の信頼関係あってこそ、支援食糧は水没せずに済みました。やはり、非常時にスピード感ある支援活動を行うためには、信頼が最も 重要であると感じさせられました。

- 日本の皆さんへのメッセージをお願いします。

まずは、世界の不平等について知っていただきたいです。そして、国連WFPの支援活動は、日本政府などからの拠出金、つまり国民のみなさんのお金で成り立っていることを知り、支援活動のゆくえや皆さんのお金の使われ方にもっと関心を寄せていただければと思います。

また、若い方たちには、人道支援や開発支援にもっと興味を持っていただきたいです。私が日本でそのような若い方を育てる手助けができればこんなにうれしいことはありません。

日本は災害の多い国です。私は国連WFPを退職しますが、今後は日本に帰国し、今までの経験を活かし、今度は日本での災害対策や、災害発生時の支援活動などに関わっていきたいと考えています。

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いかがでしたでしょうか「世界の不平等について知って欲しい。」「自分のお金がどうなっていくか、支援活動のゆくえや皆さんのお金の使われ方にもっと関心を寄せて欲しい」というメッセージが響きました。自分のお金がどうなるのか?購入の際にどこと繋がっているのか?少し先まで考えていきたいですね。

退職後も、何か支援系のことをされるようですので、何かニュースがあった時には、お知らせしたいと思います。

NHK 「プロフェッショナル 仕事の流儀/忍足謙朗(おしだり けんろう)(2014年9月8日放送)」
http://www.nhk.or.jp/professional/2014/0908/

引用元: どんなに困難でも、食糧を届ける ~国連WFPアジア局長・忍足謙朗(おしだりけんろう)~|国連WFPのプレスリリース (via PR Time)